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港で出合う芸術祭 「神戸ビエンナーレ2007」掃き清められた余白から

港で出合う芸術祭 「神戸ビエンナーレ2007」掃き清められた余白から

“記憶の風化”への問いかけ

先日私は、小春日和に誘われて神戸メリケンパークで開催されていた「神戸ビエンナーレ2007」を覗いてみた。神戸市は震災後10年を機に、2004年12月「神戸文化創生都市宣言」を宣言した。その具体策として、神戸に芸術文化の力を結集して内外に発信し、神戸の芸術文化の更なる振興を図るとともに、まちの賑わいや活性化につなげる試み(コンテナを展示スペースに)として「神戸ビエンナーレ2007」を開催することとした。

私が最も印象を深くした作品が、応募総数356点から45点選ばれたなかの1点〈掃き清められた余白から〉(古巻和芳他)である。

「陶で焼成された白いオブジェを、震災の瓦礫の“最後の残余”のように積み上げる。耳を澄ませば、そこからノックのような音が聞こえる。掃き清められた瓦礫のうちにもなお余白があることを我々は忘れてはならない」とは古巻らの作品企図である。

コンテナの入口には、古巻の身内の家屋が震災により全壊したことを受け、家屋の一室を記憶を糧に再現。その奥には、亀裂の入った床の上に、セルベンという素材を焼成した白いオブジェが積み上げられていた。白いオブジェに目を凝らして見ると、カセットテープや人形、玩具などが布置されている。因みにセルベンは、不良磁器を砕いて粉にしたもので、焼成することにより再び焼物になる「再生」素材とのこと。時の流れとともに風化していく震災。古巻らは、真摯な制作姿勢から私たちの心のなかの瓦礫の風景を覚醒させてくれている。出展作品中、唯一の“記憶の風化”への問いかけを私たちに投げ掛けていたことを特記しておきたい。

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さて今回の「神戸ビエンナーレ2007」は、初回ということもあるが、開催主旨を充分に実現出来ていないという印象が拭えない。先ず広報活動が、意外に周知されていないことやビエンナーレの統括ディレクターの不在などの声を多く聞いた。是非とも今回の取り組みを反省し、次回に活かし、魅力あるビエンナーレにして欲しいものだ。

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