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野外空間を友とする彫刻家・淀井 敏夫「渚」「鷗」(宝塚大橋)

野外空間を友とする彫刻家・淀井 敏夫「渚」「鷗」(宝塚大橋)

胴や脚が長く伸びる独特のフォルム

野外彫刻は一見すると無愛想で、つんとすましていたり、いやに気取ったり、冷たかったりする。こちらが注意しないと気付かずに通り過ぎてしまう。それでも時折、ふと彫刻の前で立ち止まることがある。最近、宝塚大橋でそんな彫刻作品に出会った。兵庫県朝来市出身の彫刻家淀井敏夫(1911〜2005年)の「渚」(1978年作)と「鷗」(1978年作)の彫刻2点である。

淀井は1933年東京美術学校を卒業し、彫刻の道を歩みつづけた。殊に1965年の約40日間にわたるエジプト、ギリシア、ヨーロッパの遊学が大きな転機となり、今日のような人間の胴や脚が長く伸びるようなフォルムが生まれる。淀井は、石膏を直付し、それを彫ったり、削ったりすることで鉄の芯棒に対して最小限の量をつけることにより、現実世界に根ざした生の喜びを表している。


宝塚大橋の野外彫刻「渚」と「鷗」


例えばブロンズ作品「渚」の女性の帽子は、単なる装飾ではなく、夏の暑い日差しを表現するとともに、外気をも感じさせる。また帽子にあけられた穴も装飾ではなく、太陽の光を表現している。同じく宝塚大橋の中央あたりに「渚」に対面するように設置されているブロンズ作品「鷗」には、細長く伸びた形が空間を鋭利に区切っていると同時に、人物像と上部のが複雑に絡み合う構成が見る者に自然や悠久な時間に対する生命や人間の存在を象徴化しているように映る。
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宝塚大劇場を背景にした「渚」

この2点の彫刻作品は、淀井の空間感覚や空間把握が投影されている大変興味深い野外彫刻である。

淀井敏夫プロフィール
1911年兵庫県朝来市佐中に生まれる
1933年東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科卒業
1965年東京芸術大学教授となる
1977年「ローマの公園」で日本芸術院賞受賞
1998年二科会理事長となる
1999年あさご芸術の森美術館に「淀井敏夫記念館」開館
2001年文化勲章受賞
2005年逝去

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