宝塚の情報誌ウィズたからづか

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田辺聖子さん ピカピカに磨いた言葉を紡ぐ

宝塚歌劇は情操を育ててくれる場所

阪急新伊丹駅近くの閑静な住宅街、ステンドグラスが施された重厚なドアを開けると、ぬいぐるみのようなトイプードルのマルちゃんが、人懐っこく迎えてくれた。花模様の壁紙の部屋に備え付けられたガラス戸棚には、和洋人形や西洋グラスなど田辺コレクションが並び、バラの花が描かれたサイドボードも乙女チック。

「部屋に来た人は、タカラヅカっぽいですねって言うんです」と話す田辺さんは、5歳ぐらいから歌劇に通っていたという、無類の宝塚ファン。

「花の道で緑の袴姿の生徒さんに出会えるのも嬉しかったわね。お姉ちゃん(叔母)が『いやぁ〜悩殺されるわ』と言うのを聞き、どんな字かな?と思いながら『ノウサツされる〜』と真似てました(笑)」

宝塚歌劇では、田辺さんの「新源氏物語」「隼別王子の叛乱」「舞え舞え蝸牛」が舞台化されている。

「『隼別王子の叛乱』は小説にするのに10何年もかかった作品だったから、取り上げてもらった時は嬉しかったのよ。おまけに主演がショウちゃん(榛名由梨)だから。あの人は演劇的な感性が優れ何をしても様になる人で、どこから見ても皇族の王子という感じがしました」

長い伝統があリ、多くのファンに支えられ、「清く正しく美しく」が芸術になっている宝塚歌劇を田辺さんは絶賛する。

「夢がある宝塚は、情操を育ててくれるところ。人間の情緒ときちんとした合理性との両方持っている舞台だから、小さい時から観劇させるといいわね。子どもの中に言葉がいっぱい出てきた時には、今日の舞台どうだった?ラストのところどうだった?って会話ができるから」

おっちゃんと飲みながら「私まだ喋ってへん」

昨年10月にスタートした、NHKの連続テレビ小説「芋たこなんきん」は、大阪の写真館に生まれ育ち、10人の大家族に嫁いだ田辺聖子さんの半生をベースにしていて、主演の藤山直美さんの演技と昭和の懐かしい街の様子が好評のドラマだ。

「打ち合わせはないけれど、たくさんの私の本を読んで作ってはるから、大体はあんな感じでしたね。家には沢山の人が居てて、みんな思っていることも言うことも違ってた。でも、どんな若い叔父さんでも叔母さんでも、私らが嘘をついたり人の悪口を言ったりすると、『そんなこと言うもんやない』と、皆一致して怒ってくれましたね」

子どものころからたっぷり受けた愛情が、カラリと明るい田辺文学の根底に流れているのだろう。

いじめ問題について田辺さんは「実に心の貧しい卑しいこと」と斬る。いじめが悪いと大人が上から言ったところで納得する子などいないから、いじめよりもっと面白いことを与えれば良いのだと。

「動物を育てるとか、魚を川に放して増やすとか。いじめて面白がるような陰湿なせせこましいのより、広い外にのびのびと出て行って、世の中にはこんな綺麗なもの面白いものがあると、大人が教えてやらないとね」。続けてこんなエピソードを話してくれた。

「ドラマよりもっと小さい時だけど、堂島橋から西の空を見ると、真っ赤で半分の雲が金色に光っていて、母が『綺麗な夕焼け』って言ったの。『綺麗』は絵とか着物とかお人形さんを指す言葉だと思っていたから、その時、夕焼けも綺麗な対象になるのかと思ったのね」。

ドラマでは、5年前に亡くなった田辺さんの最愛の夫を、國村隼さんが演じている。

「だんだん顔もおっちゃんに似てきましたね。あんなに颯爽とはしてなかったけど(笑)。やっぱり私が影響を受けた一番の人は、おっちゃんでしょうね。あの人は、その場に合った適切な言葉で、自分の思っていることを確実に伝える不思議な能力のある人でした。酒飲みでね、食事の時は飲みながらどっちもよく喋るから、『ちょっと待って、私まだ喋ってへん』って(笑)。ご飯の時にあまり喋らない家庭もあるでしょうけど、やっぱりおいしいもの食べている時には『おいしいね』って、色んなお話した方が良いと思うんですよ」

的確な漢字なら、背後の思いまで響く

ソリオホールで開催された、第7回宝塚映画祭のオープニングイベントは、田辺聖子さんがゲストということで、過去最高の300人ものファンが参加。映画祭実行委員長・河内厚郎さんと対談し、宝塚歌劇や子ども時代の思い出で会場を沸かせた。

トークショーに先立って上映された話題作「ジョゼと虎と魚たち」の原作は、田辺さんの同名短編小説。足が不自由で市松人形のような女の子と、思いやりのある大学生との、危うい男女の関係を関西弁で描いた物語を、田辺さんは「好きな作品」と語る。

「女の子は体が悪いから、虚勢を張ってすごく我がまま、思いやりのある男の子は皮膚感覚でそれを知っている。傷つきやすい者同士が、お互いの自尊心を庇い合って、傷つけないためにはどうすれば、ってそんなことを考えたり思ったりする男の子や女の子が好きなの」

田辺さんの作品には漢字が多く並び、「ジョゼと虎と魚たち」の中にも、「蒟蒻こんにゃくと菠薐草ほうれんそうの白しら和あえに…」「…前より痩やせ、顎あごがと尖がって…」と、ルビが振られた言葉が多く出てくる。

「若い人の小説を審査して思うのは、何で漢字で書かへんねやろ?というのが多くてね。漢字ぐらいもの凄くそのものを的確に表現するものはない。その背後の思いも漢字なら響いてくるから、たとえ字引を引いても使ったほうが良いの。ひらがなは、必ずしも読み手へのサービスになってないのよ。若い子がね、『先生、ここはアルファベットで書いた方がいいでしょうか?カタカナで書いた方がいいでしょうか?』って聞くんだけど、『どっちもアカン。英語使わなくても、もっと綺麗な言葉が日本語にはいくらでもあるねん。一番その場にぴったり合う日本語を使うことを楽しまないと』と言うんです」

作家活動50年の「田辺聖子の世界展」が各地で

昨年夏、田辺聖子全集(全24巻・別冊1巻)が完成した。収録できたのは膨大な全作品の半分ぐらいで、今回は田辺さんの好きな小説や短編が中心になっている。
「短編というのは瞬景。一瞬の光景が頭に浮かんだら、それだけで短編ができるんです。でも、ものすごく気力がないと書けない。元気盛りの壮年のころの作品を今読むと、『上手いなぁ』って思います(笑)」

1956年に「虹」で大阪市民文芸賞受賞し執筆活動を始めるが、「夢物語ばかり書いてたから、若いころは名前が売れなかった」。それでも、タカラヅカの脚本をイメージして書き続け、「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で芥川賞を受賞する。その後数々の文学賞を受け、1995年に紫綬褒章を、2000年には文化功労者に選ばれた。

昨年8月、全集の完成と伊丹市在住30年を記念して、伊丹市の柿衞かきもり文庫で「ひとつきだけの田辺聖子文学館」が、隣接の重要文化財旧岡田家酒蔵では、近著「田辺写真館が見た昭和=vの秘蔵写真による写真展が開かれた。

また、作家活動50年を記念し、11月には日本橋三越、今年1月2日から15日まで心斎橋そごう、2月には名古屋松坂屋で、「田辺聖子の世界展」が開催。直筆原稿、幼少期からの写真やタカラヅカのポスターだけでなく、自宅の部屋に飾っている人形やスヌーピーのぬいぐるみ、アンティークのガラス瓶などのコレクション展示を、多くのファンが楽しんだ。 綺麗なものが大好きな田辺さんは、口から出る言葉は全て珠のように美しいという意味の「咳がい唾だ珠たまを成なす」を用いてこう語ってくれた。

「いろんな言葉を削ったりペーパーかけたり、胸の中へ入れたり手のひらで温めたりして、人様に出すときはピカピカに磨いて、珠の首飾りにできるような言葉にするんです。やっぱり文章に求められるのは品ですから」

「年を重ねて夢失わず」と色紙に書くその言葉通り、キラキラした少女の輝きを放ち続けている。


田辺聖子さん
1928年大阪生まれ。樟蔭女子専門学校国文科卒。1964年「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で芥川賞を受賞。著書に「花衣ぬぐやまつわる―わが愛の杉田久女」(女流文学賞)、「ひねくれ一茶」(吉川英治文学賞)、等多数。「源氏物語」の口語訳でも知られる。文化功労者。伊丹市在住。
▲月組公演『パリの空よりも高く』
▲第7回宝塚映画祭のオープニングで、実行委員長の河内厚郎さんとトークを繰り広げる田辺さん